私は1977年に東京都日野市に生まれ、地元の小学校、中学校に通っていました。小学生の頃、将来は新幹線などの乗り物の運転手になりたいと考えていましたから、まずは普通の男の子であったと思います。
父は大工でした。だから、私はやはり小さな頃からモノを作ることが大好きで、父親が仕事現場からもってきてくれた木材の切れっぱし使って自分だけのオモチャを作ったり、近所のゴミ置き場に捨ててあったラジカセを拾ってきて、それを分解したりしていました。いえ、それを分解して再び組み立ててみるといった高級な遊びじゃないんです。「中身はどうなってるんだろう?」と、それをただただ分解していくことが楽しかったんです(笑)。
中学校に進んだとき、私は迷わず木工や金工ができる工作部に入りました。でも、ご覧の通り、私はちょっと背が高い。いまは1メートル86センチありますし、中学校に入学した当時ですでに1メートル74センチありました。当然、バレーボール部顧問の先生に目を付けられることになり、その度重なる勧誘もあって、私はバレーボールに転部することになりました。ええ、工作部にいたのは、たった2カ月間だけだったんです。
また、私は理科の実験、あるいは技術・家庭科の実習といったものが好きでしたが、同時に地理の授業も好きだったので、長期休みのときには周遊券などを利用していろいろな土地へと旅に出かけていました。とにかく、ただただ見知らぬ土地を旅して、それぞれの土地の空気に触れられるってことが楽しかったんですね。旅に出かけるときは友だちと一緒だったり、たった一人だったりしたんですが、ご心配なく、ちゃんと家族の許可ももらっていましたよ(笑)。
さらに、高校は都立の八王子東に進みましたが、この高校では3年生のときに自分の好きな科目が選べる単位制になっていました。そこで私は、将来的に工学系の分野に進んで物作りの仕事にたずさわっていきたいという想いをもっていたため、3年生のときには理数系の教科を中心に履修していました。
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