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第7回 江連真一(HPCミドルウェアグループ)私は“作る仕事”が大好き。やりがいのある研究テーマもたくさん抱えています。
 江連真一研究員のプロフィール


今回は、HPCミドルウェアグループにおいて、PCクラスタから地球シミュレータに至るまで、個々のコンピュータシステムに依存することなく使用できるHPCミドルウェアのシステム作りに取り組んでいる、高度情報科学技術研究機構の江連真一研究員にお話をうかがいました。

■まず江連さんのご出身地、少年時代の様子など、その経歴をお聞かせください。

 私は1977年に東京都日野市に生まれ、地元の小学校、中学校に通っていました。小学生の頃、将来は新幹線などの乗り物の運転手になりたいと考えていましたから、まずは普通の男の子であったと思います。

 父は大工でした。だから、私はやはり小さな頃からモノを作ることが大好きで、父親が仕事現場からもってきてくれた木材の切れっぱし使って自分だけのオモチャを作ったり、近所のゴミ置き場に捨ててあったラジカセを拾ってきて、それを分解したりしていました。いえ、それを分解して再び組み立ててみるといった高級な遊びじゃないんです。「中身はどうなってるんだろう?」と、それをただただ分解していくことが楽しかったんです(笑)。

 中学校に進んだとき、私は迷わず木工や金工ができる工作部に入りました。でも、ご覧の通り、私はちょっと背が高い。いまは1メートル86センチありますし、中学校に入学した当時ですでに1メートル74センチありました。当然、バレーボール部顧問の先生に目を付けられることになり、その度重なる勧誘もあって、私はバレーボールに転部することになりました。ええ、工作部にいたのは、たった2カ月間だけだったんです。
 また、私は理科の実験、あるいは技術・家庭科の実習といったものが好きでしたが、同時に地理の授業も好きだったので、長期休みのときには周遊券などを利用していろいろな土地へと旅に出かけていました。とにかく、ただただ見知らぬ土地を旅して、それぞれの土地の空気に触れられるってことが楽しかったんですね。旅に出かけるときは友だちと一緒だったり、たった一人だったりしたんですが、ご心配なく、ちゃんと家族の許可ももらっていましたよ(笑)。

 さらに、高校は都立の八王子東に進みましたが、この高校では3年生のときに自分の好きな科目が選べる単位制になっていました。そこで私は、将来的に工学系の分野に進んで物作りの仕事にたずさわっていきたいという想いをもっていたため、3年生のときには理数系の教科を中心に履修していました。

■江連さんはその後、大学、そして大学院へと進んでいかれましたが、そこではどのような勉強をなさっていたのかをお聞かせください。

 大学は横浜国立大学の工学部生産工学科に進みました。この大学の生産工学科は機械工学と材料工学という2つの科からなるものですが、2年生のときまでは工学に関する専門的な勉強の他に、数学、物理学、科学、語学といった一般教養的な勉強が主となっていました。そして、3年生になってから学科内でコース分けが行われ、ここから先が専門的な知識を深める場となりました。そこで私は「機械プロセスコース」と呼ばれるコースに進み、このコースで「物を作る・設計する」過程で必要となるなさまざま事柄を学んでいくことになりました。具体的に言えば、鋳造、鍛造、曲げ加工といったさまざまな加工法の勉強を続けると同時に、コンピュータによる数値解析を用いた設計などについても勉強してきました。

 ここで、お話をわかりやすくするために、私たち学生が実際の授業において教授から与えられた研究課題について説明してみましょう。この課題は「遊園地の乗り物を自分で作ってみよう」というものでした。この課題、楽しそうなんですけど、やってみると実に大変なんですよ(笑)。まず、その乗り物がどのような構造をもち、どのように動くのかを決めるために、回転数や回転軸の数について考えなければなりません。次に、その乗り物の安全性を確保するために、構造の強度や使用する材料の許容能力を計算しなければなりません。でも、アイデアを出す段階から始まって、それを設計図としてまとめ上げる段階まで、すべての段階を自分で考えていくことは非常に刺激的な体験で、私にとっては忘れがたい思い出になっています。

 そして大学4年生のとき、私は奥田洋司先生の研究室に入り、私が現在やっている研究に密接にかかわる大規模メッシュ生成について学ぶようになりました。ちなみに、私の大学時代の卒論のタイトルは「並列計算機におけるParallel Mesh Relocatorの開発」というもので、その内容はラップトップPC(パソコン)用のCPUをモデル化し、大規模詳細メッシュの作成と解析を行なうというものでした。

 大学卒業後、私はさらに横浜国立大学大学院において工学部研究科生産工学を専攻するようになり、ここを2年間で卒業して工学修士となりました。そして、2003年の4月から財団法人高度情報科学技術研究機構の招聘研究員となり、ここ東京大学生産技術研究所との協同のもと、HPCミドルウェアの研究開発を進めています。なお、先に述べた奥田先生は、このHPCミドルウェアグループのグループリーダーにもなっていらっしゃいます。

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