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第6回 姜 玉雁(統合プラットフォームグループ)やっとおもしろくなってきました。これからはどんどん研究を進めていきますよ。
 姜玉雁研究員のプロフィール


今回は、統合プラットフォームグループにおいて、研究者たちにコンピュータ上の理想の研究環境を提供するシステム作りに取り組んでいる、生産技術研究所の姜玉雁研究員にお話をうかがいました。

■まず姜さんのご出身地、少年時代の様子など、その経歴をお聞かせください。

 私の名前は姜玉雁(ジァン・ユヤン。英語表記はYu Yan JIANG)です。私は1972年に中国の山東省の地に生まれました。この省は北京と上海のちょうど中間に位置し、人口は8,838万人。中国というのは国土が広いだけでなく、人口もものすごく多いんですね(笑)。この省は孔子、孟子という2大聖人を生んだこともあって儒教の中心地になっています。また、この省の臨海部には青島という人口約700万人を擁する市があり、ここは昔から青島ビールで有名だし、現在は中国最大の家電メーカーである「海爾(ハイアル)」という会社が本社を置いていますので、日本の方にもなじみが深いのではないでしょうか。

 私が生まれた場所は姜庄村、つまり、農村ですね。私の父や母も農業をやっています。3人兄弟で、私が長男。妹と弟がひとりずついます。中国の小学校は5年制になっています。でも、私が小学校に入ったのは、やっと9歳になってからでした。今はそうでもないようですが、当時、いなかの子供たちが小学校に入学する年齢が遅かったんです。小学校時代には国文、つまり漢語による詩や散文の勉強が好きでしたね。

 また、中国では中学校が「初中」、高校が「高中」と呼ばれていますが、私は地元の初中に進みました。この初中では、最初の試験で満点を取ったことから、物理の勉強が好きになりました。そういえば、英語の勉強は嫌いでしたね(笑)。次に、私はこれも地元に近い山東省棗庄市にある第三高中に進みました。この高中は生徒数が約2000人という大きな学校だったんですが、山東省にはこうした規模の高中が何百もあるんですよ。そしてこの高中時代、私は1室8人住まいの寮で寄宿生活を送り、勉強に励んでいました。

 ええ、男女共学でした。でも、高中での恋愛は両親も反対するし、学校も反対するしということで、堂々と恋愛をするのは難しいことだったんですよ(笑)。

■姜さんはその後、大学、そして大学院へと進んでいかれましたが、そこではどのような勉強をなさっていたのかをお聞かせください。

 私は陝西省にある理系大学の西安交通大学に進み、ここで冷凍と低温工学について勉強しました。冷蔵庫やクーラーといったものの勉強ですね。私はここでも寄宿生活を送り、英語の勉強も一生懸命しました(笑)。でも、皆さんもよくご存知のように、西安というのは秦、漢、隋、唐といった中国歴代王朝の都となった街、つまり昔は長安と呼ばれていた歴史のある街なので、見所もいっぱいなんです。だから、大学生時代の私はいろいろな所を見て歩きました。また、中国のいくつかの土地にも旅をしました。

 大学を出た後は、北京にある清華大学の大学院に進みました。この清華大学 は、理系の大学としては中国でもトップクラスの位置を占めていると思います。そして、私はここの大学院で熱能工程系のクラスに身を置き、伝熱工学の勉強をして、修士の資格を得ることになりました。なお、私の修士時代の論文は"International Journal of Heat and Mass Transfer"というWebページの244巻2号(Volume244、Issue2)の443~456ページの所に掲載されています。興味をもたれた方は、ぜひ読んでみてください。
(注:このページを閲覧するには30米ドルがかかります)

 ところで、中国はいくつかの分野では高い技術力を誇っていますが、産業全体の広がりといった意味では、やはり日本の技術力にはかなわないと思います。そこで私は、修士を終えたときに、日本にやってくることにしました。そしてそのとき、生まれ故郷の初中で知り合った女性、後に山東省の中医薬大学を卒業して医者となった女性と結婚したので、単身赴任の状態になってしまいました。また、東京大学大学院の工学系研究科では伝熱工学の勉強を続け、庄司正弘先生の指導を受けて工学博士号を得ることになりました。

 えっ、中国に置いてきた奥さんはどうなったか? ご安心ください。今、彼女は日本にいて、子どもも生まれました。2歳の女の子です。かわいいですよ(笑)。
 

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