ホーム

研究成果

研究テーマ

プロジェクトの概要

メンバーと人材育成


メンバーリスト

研究員インタビュー

研究人材の育成

研究員募集



スーパーコンピューティング技術産業応用協議会先端ソフトウェア産業応用部会



IIS

リンク

サイトマップ



所内向け案内
所内関係者のみ


東京大学生産技術研究所
計算科学技術連携研究センター
〒153-8505
東京都目黒区駒場4-6-1

研究員インタビューInterview



 バックナンバー



第4回 別役 潔(ナノシミュレーショングループ)この仕事は僕に向いているし、大きなやりがいも感じています。



今回は、ナノシミュレーショングループにおいて、次世代半導体を実現するための研究開発支援シミュレーション・プログラム作りに取り組んでいる、アドバンスソフト株式会社の別役研究員にお話をうかがいました。

■まず別役さんのご出身地、少年時代の様子など、その経歴をお聞かせください。

 僕は1971年、茨城県東海村に生まれました。父は原子力研究所の研究員でした。父は物性の物理を専門としていましたが、堅苦しいという感じの人ではありませんでしたね。漫画もよく読んでいて、特に同年代に活躍した漫画家ということで手塚治虫さんの大ファンだったんです。おかげで、子ども時代の僕や兄や姉などは、父が買い与えてくれた『鉄腕アトム』なんかの漫画本をたくさん読んで育つことができました(笑)。

 僕自身はスポーツ好きの、ごく普通の男の子だったかな。地元のスポーツ少年団に入ってサッカーに熱中していた時期もあったし、特別に練習したというわけでもないのに水泳も得意でした。だから、中学と高校時代には水泳部に入って、試合のときには個人メドレーなんかの種目をこなしていました。

 高校は茨城高校に進みました。この高校は東海村から電車で30分ぐらい離れた水戸市にあって、私立の男子校です。自由な校風が魅力で、制服もなし。おかげで、のびのびとした高校時代を送ることができました。

 あっ、思い出した。実家には僕が子ども時代に読んだ手塚治虫さんの漫画本がたくさんあったんですけど、これ、いまでは貴重品ですよね。まだ残っているかなぁ? 家族の誰かがゴミといっしょに捨てていなきゃいいんですけど(笑)。

■別役さんはその後、大学、そして大学院へと進んでいかれましたが、そこではどのような勉強をなさっていたのかをお聞かせください。

 大学は大阪府立大学に進みました。この大学は堺市にあるんですが、僕の母親が関西出身ということで、関西の地で暮らすことに抵抗はありませんでした。僕は東京よりも、むしろ大阪の方に親しみを感じているように思います。

 僕はこの大学で総合科学部・総合科学科に所属していましたが、大学3年のときに数理科学コースという専門課程に進みました。僕としては、父が物理を専門としていましたから、父とは別の道を歩みたいと思ったわけなんです。しかし、数学の勉強を続けていくうちに、僕はやっぱり物理の勉強をしたいと思うようになっていきました。そこで、大学院では物質科学を専攻することにしました。この物質科学というのは、固体物質の電子状態を計算によって調べるという内容の学問です。そして、今から思うと、僕の研究者としての方向性はほぼこの時期に定まってきたんですね。また、大学院博士課程における2年間は大阪大学の基礎工学研究科・物質系専攻というところで過ごしました。そして、ここで理学博士の博士号を取得しました。

 僕は結局、大学、大学院、ポストドクターの時期を通して12年間を関西で過ごしているんですよ。で、白状してしまうと、僕は大学時代に1年間の留年をしているんです。大学4年生のとき、大学院の試験にも受かったからということで、気楽な気分で大学時代の取得単位を計算し直してみたんです。すると、驚いたことに卒業時に必要とされる単位数が足りなかった(笑)。

 あわてて指導教官のところに飛んでいって直談判してみたんですが、当然のことながら、卒業はできないということになってしまいました。そうなんです。僕は単位数を計算するという簡単な足し算もできなかった。これで、僕には数学という学問が向いていないということがよくわかりますね(笑)。

 NEXT







ページトップ


Copyright