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第3回 福澤 薫(タンパク質-化学物質相互作用解析グループ)毎日のように新しい発見に出会えることがとてもうれしい。

 福澤研究員のプロフィール


今回は、タンパク質-化学物質相互作用解析グループにおいて、In silico詳細スクリーニングシステムの開発に携わっている、アドバンスソフト株式会社の福澤研究員にお話をうかがいました。

■まず福澤さんのご出身地、少女時代の様子など、その経歴をお聞かせください。

 私は埼玉県川越市に生まれました。小学校1年生のとき、将来は何になりたいかという先生の質問に対して、私は「大きくなったら、科学者になりたいです」と答えているんですよ。それで、隣の席に座っていた男の子から「そんなもん、なれるわけがないじゃん」と大きな声で言われてしまったことがあります(笑)。

 科学者になりたいと思ったのは、自分で考えた結果というよりは、家庭環境によるものだと思います。私の祖父は東大の教授をしていて化学が専門。この祖父の兄弟たちも医学部や理学部で教えていて、それぞれが科学の研究者でした。また、父は普通のサラリーマンですが大学では化学を専攻し、母もまた化学を専攻していたのです。

 小学生時代の私は「おしゃべり」とか「食いしん坊」などと言われていて、実際もその通り(笑)。でも、ピアノ、バレエ、絵画といった習い事もしていたし、祖母からは茶道を習ったりしていましたから、その意味ではふつうの女の子であったと思います。また、姉とはよく気が合って、おしゃれや音楽についての情報を交換し合っていました。クラブ活動は、小学生時代は鼓笛隊に入って小太鼓を、中学生時代はブラスバンドに入ってパーカッションを担当。だから、主な打楽器は一通り経験があります。

■福澤さんはその後、高校、大学、そして大学院へと進んでいかれましたが、そこではどのような勉強をなさっていたのかをお聞かせください。

 高校は浦和西高校に進みました。この高校は埼玉県の県立校にしては珍しく男女共学で、私服での通学が認められていました。校風も自由だったので、のびのびとした学生生活を送ることができたと思っています。ところで、私は暗記物の勉強が嫌いで、現在の社会科のように年代だけを丸暗記させる科目が好きになれなかったんです。そこで、私の興味は次第に数学や物理や化学といったように論理的で秩序だった学問体系がある科目に移っていくことになりました。

 大学は立教大学の理学部化学科に進みました。ここで私は、無機化学、有機化学、生物化学など、さまざまな授業を受講したのですが、いずれの授業も私の気持ちにピッタリと寄り添ってこなかった。そこで将来はどうしようかと思い悩んでいた3年生の後期に、たまたま量子化学という分野の講義に出会い、4年生になったとき、量子化学の研究室に入りました。そして、この研究室では星間化学、つまりこの大きな宇宙空間で誕生と消滅を繰り返している星々の一生の秘密を、星間ガスの化学反応という観点から分子レベルで解明するという勉強を続けていました。

 その後、私はさらに立教大学大学院へと進み、理学研究科というところで、こうした勉強を続けていきました。そして、大学院博士課程のとき、研究室のメンバーと共にアメリカへ渡り、ジョージア州にあるジョージア大学とエモリー大学に、それぞれ1年間ずつ在籍していました。また、課程在学中に博士論文を書き上げ、これを東京大学大学院での審査に提出して、工学博士号の学位を得ることになりました。

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