インスリンの全電子計算


糖尿病の即効薬であるインスリンは興味深いタンパク質(ホルモン)です。図に立体構造を示したように、A鎖とB鎖の二本のペプチドからなる51残基の小さなタンパク質です。これをインスリンの単量体と呼びます。






図:インスリンの立体構造


ヒトインスリン製剤は遺伝子工学の臨床応用の輝かしい成果として登場しましたが、大きな問題点があります。それは、速効型製剤といえども、皮下注射部位からの吸収が必ずしも速やかではないことです。その原因は、ヒトインスリン分子は放っておくと亜鉛を取り込み、二量体を形成し、さらに六量体を形成してしまうことです。製剤中で六量体を形成しているヒトインスリンは、皮下注射後、皮下組織中で拡散し、希釈され、二量体から単量体になってはじめて毛細血管から吸収されます。その結果、皮下注射後、血中濃度が頂値に達するまで2時間近くかかってしまいます。皮下注射後、速やかにインスリン作用を発現させるためには、六量体から二量体、単量体に速やかに解離させることが重要なのです。

これを遺伝子操作で解決する試みはすでに始まっています。日本でも市販されているインスリン・リスプロは、B鎖28位のプロリンと29位のリジンを置換したものです。それによって二量体の形成に関与する面の立体構造が変化し、二量体を形成しにくくなっていると考えられています。新たに認可され、臨床に登場することとなったインスリン・アスパルトは、B鎖28位のプロリンがアスパラギン酸に置換されたヒトインスリンアナログです。この置換により分子間の電荷の反発が生じ、インスリン分泌の「自己会合」が起こりにくくなることを利用しています。

しかし、これらの新薬の開発には現在多分に熟練研究者の経験や勘に頼っているものと思われます。そこで、当グループのタンパク質波動関数データベースサブグループでは単量体インスリン、亜鉛を持つ二量体、六量体のインスリンとその遺伝子操作アナログの全電子計算を通して、最高血中濃度到達時間と相関のある物理量を探す試みを始めています。今年度は手始めに自動計算法のテストを兼ねて、単量体の計算を終了させました。

次年度以降、特に二量体に的を絞って、超速効型インスリン開発へ向けた計算経験を積む予定です。


 




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